WEB版第2回 吉澤嘉代子さん(シンガーソングライター)と 花組「うたかたの恋/ENCHANTEMENT-華麗なる香水-」3
最果タヒ
2023.10.19
3 最果タヒより。吉澤嘉代子さん、ありがとうございました。
自分に恋をしている人間に、舞台の上の幻として応えていくその作業が、「トップスター」という存在を作り上げていくのかもしれない。人が見ている幻ほど、華々しく、非現実的なものはないけれど、タカラジェンヌの多くは過去に宝塚のファンだったり舞台に魅了された経験のある人で、そうでなくてもファンが自分にどんな夢を見ているかをファンレターやその言葉からよく知っている人がほとんどで、「幻」の存在を本当に緻密に当たり前のこととして受け止めている。だから、幻を見ようとするファンの、その瞳に応えるために舞台の上で振る舞うことができる。
トップスターは特に、ファンから届くそんな眼差しが無数の花束のように手元にあるはずで。それでいてその人は決してその幻に埋もれず、現実のスターとして、それらの夢・幻を自らを飾る光に変えてしまう。自分が他者にとって幻で夢そのものである、というのはどんな感覚なのだろう。それに応えていくことが、けれど彼女たちにとっては、舞台の技術そのものに結びつく行いで、地に足のついた作業でもあるというのが私は好きだ。幻に対して幻として応えながら、いつも、足の裏は舞台の冷たさに触れている。
スターやタレントは「見られる存在」であり、ファンが夢を見るために「消費」される、なんて文脈もこの世にはあるけれど、でも、「見られる」ことは少しも一方的ではない、と私は舞台を見ていて思います。彼女たちが積み上げてきたものが、ファンの眼差しを吸収してきらめいていくようにしか思えない。そのきらめきが、人が生み出したものとは思えないほど大きくて、でも、確実に人が人として作り上げたものであることがわかるのは衝撃的で、スターは、隅から隅まで人間だと気づく瞬間があるからスターなんだ。ファンが見ている夢があるからこそ、その夢につぶさに応えることで、夢そのものをまとい、きらめいたライトの下で光よりも輝く細かな作業が見えてくる。夢そのものに打ち勝って現実できらめく。地に足のついた「舞台人」としての徹底こそが、ファンを満たすのだし、夢を見ることを決して「虚しい」と思わせない。それは夢そのものを守り続けることでもあり、スターというよりヒーローだな、とたまに私は思います。
吉澤さん、花組公演をご観劇いただきありがとうございました! 今回の公演は特に、初めて来られる方が期待する「宝塚らしさ」のようなものを煮詰めてジャムにしたようなお芝居で、さらにそれを演じるのがトップスターとしての運命的な説得力の強い柚香光さんであるため、宝塚との出会いそのものがとてもロマンチックになるのではないかなぁとお誘いした時ほんのり想像していました。ですから、宝塚という場所そのものから楽しんでいただけたお返事が届き、本当に嬉しかったです。
ステージに立たれる方にとって、宝塚のトップスターさんってどのように見えるのでしょう? 舞台は映画やテレビドラマと違って、カメラのアングルで主演の表情がアップになったりすることはありません。それでもそれと同じくらい、舞台上のトップスターは観客の視線を自動的に集めるために、「つい見てしまう存在」として常に舞台に立っています。それはもちろん宝塚以外の舞台の主演さんも同じなのですが、宝塚は「作品の主演」としてだけでなく「組のトップスター」として存在する必要があり、役だけでなく、自分が自分であることこそが、そこに立つ理由で、大きな羽根を背負う理由となっている。それは「自分」そのものを虚構として捉え、それを作り上げることを自分の役目と捉える人たちだからこそ可能なことなのではないかなと思います。
宝塚の「男役」「娘役」という現実とは全く違う役割が、余計にその人たちの虚構性を強化して、フィクションとしての「私」の完成度を上げていくのかなあって思います。特に、トップスターは大羽根や衣装がどれもあまりにも華美で、それなのに当たり前のようにそれらが似合う。そんなふうに生まれてくる人はいないのに、それなのに必然のようにそこにいる。存在そのものの強度をここまで上げるために、自らを虚構に近づけていくのかなって思います。
花組のトップスター柚香さんはそんな虚構の強さが満ち満ちている人。そして、同時に前述した「ヒーロー」性がとても強い人だなぁと思います。見る人の夢をいつまでも夢のままにするために、強く、頼もしいヒーローとしてのトップスター。自分がタカラジェンヌでいることで、夢を見られる人がいて、日常の辛さや悲しみを忘れられる人がいることをよく知っている人なのかなぁと感じます。だから、スターであることに躊躇がなく、そしていつもスターであることを誇りに思っているように見える。本当にこの人はトップスターが天職なのだろうなぁ、と見てて爽快ささえ感じます。
宝塚に人は「夢」を見にきているというより、「夢を見せるために生きている人」を見にきているのだと私は思います。だから宝塚の舞台作品というより、トップスターをはじめとした出演者の記憶が強く頭に残るのだろうなぁって。スターという存在は魅力的でもあるし、そしてすごく頼もしいです。夢を夢のままで守れるって、どういうことなんでしょうね。そのためにどれほどの現実の積み重ねが必要なのか、私には想像もできないです。そんなことができる人に出会えるなら、夢を見ること、未来に希望を持つことをくだらないと思うことはなくなる気がする。ただ一瞬、現実を忘れるためだけでなく、未来そのものをまっすぐに見つめ続ける勇気のようなものをあの人たちは手渡してくれます。
私は「うたかたの恋」の星風まどかさんのマリーが大好きで、最初から柚香さんのルドルフに心酔し、恋以上の恋をして、その眼差しをどこまでもルドルフだけに注いでいる。トップ娘役さんはトップスターへの恋心を全身で表す役割を担っているけれど、マリーはまさにそのためにあるような役で、それでいて、その恋心がどこまでも尽きなくて、そしてどこまでも「すでに幸福感に満ちている」ことが素敵だった。ルドルフが応えなければ満たされない恋ではなく、マリーは最初から恋をするだけで満たされていて、それがまるで夢を見ることそれだけで全てが完結して、現実を生きていく力そのものを得ているファンの心理によく似ていて、それを娘役さんを通じて見られることがなんだか刺激的だった。あの憧れの眼差しが、物語の中で起きる「恋」として昇華されていくのは、宝塚という世界そのものが一つのおとぎ話になっていくようで、とてもロマンチックでした。
「うたかたの恋」が宝塚という場所で演じられる、その現実が私はすごく好きです。最初の真っ赤な大階段の、壮大さと美しさで何もかもをねじ伏せて、悲しいはずのエピソードにどうしようもなく美しさを感じさせる、「物語」にしかできない剛腕さが大好きでした。人には非現実でしか乗り越えられないことや、非現実でしか得られない「現実に必要な勇気」があるように思います。吉澤さんにこの物語で宝塚に出会っていただけたのが私はとても嬉しいです。本当にありがとうございました。
(さいはて・たひ/詩人)
[花組公演「うたかたの恋/ENCHANTEMENT-華麗なる香水-」2023年1月1日~1月30日:宝塚大劇場、2月18日~3月19日:東京宝塚劇場にて公演]