WEB版第1回 勝田文さん(漫画家)と雪組「BONNIE&CLYDE」3
最果タヒ
2023.07.14
3 最果タヒより。勝田文さん、ありがとうございました。
宝塚のお芝居には出演している人のきらきらが鮮烈に記憶に残るだけでなく、そこに描かれた物語がいつまでも私の中で息づくようなそんな錯覚になる作品が時にあって、ボニクラは私にとってそんな特別な作品でした。勝田さん、ご覧いただきありがとうございます。夢白あやさん、ほんと素敵でしたね! 夢白さんがトップ娘役に就任して初めての作品です。これまで役に対してかなり切れ味のあるお芝居をしてきた夢白さんのトップ娘役プレお披露目作品(*註)としてあまりにもぴったりの演目でした。そして、なによりボニーというキャラクターは、「愛される人」ではなく、ひたすらに「愛する人」であり、彼女の生きた時間は誰がなんと言おうと、彼女にとって輝かしい青春であり、その愛情と青春のきらめきを、夢白さん本人の輝きが描いているからこそ、銃を構え、強盗をするヒロインだけど、それでもとても王道に宝塚の娘役だったと思います。
宝塚のお芝居って不思議で、演じるその人が持つスターとしてのきらめきでこそ描けるものを一番に見せようとしてる、とよく感じます。役そのものになることももちろんなのだけれど、役のリアリティや人としての生々しさよりも、その役が見ている幻や、信じ抜いてる「形のない何か」を、客席に伝えるために、スターのきらめきを存分に使おうとしてるお芝居だなぁって見ていると思う。恋も夢も崇拝も青春も、他人から見ればちっともぴんとこないもので、他人に説明できるような「理屈」とかけ離れたものだからこそ、人はそれらに人生をかけてしまうのだと思う。そして、物語で登場人物がそれを信じるとき、きっと理屈ではないところで「わかる」と見てる人に感じてもらわなければならなくて。その表現の仕方はいろいろある、小説でも演劇でも漫画でも。けれど、宝塚はそれをスターの「スターであること」を軸に作り出そうとしているように思います。
夢白さんは、ご本人のスター性というか、きらめきを、すべて丸ごと、自分の役に捧げることができる人だと思います。「この役を演じる自分」を魅せるためではなく、「この役」を魅せるために、すべてのきらめきを惜しげもなく役のために捧げられる人。ボニーはクライドという人を愛し抜いた女性ですが、彼女はクライドの孤独を支える立場でもあり、物語の描き方上、彼女自身の寂しさは、(あるとは察することができるものの)はっきりと言及されることがありません。母親が自首してくれと縋る場面で「(クライドのもとに)行かないとママ」と去っていく彼女は、夢白さんの演技によって、愚かな人でも、恋に一途な人でも、母親を軽視する人でもなく、すべてわかっていて、母から離れる一人の女性として存在していました。自分が死ぬ可能性が高いことも、それによって母親がどれほど絶望するかもわかっていて(そしてそれを彼女は望んでいない)、それでも自らの選択を謝らず、自分がしたいこととしてクライドのところへ行く。別に母親を傷つけたいわけでも、クライドしか見えないわけでもなく、彼女は自分が地獄に堕ちる覚悟でそれを選んだのだと思います。平凡で穏やかな普通の生活よりダイヤのイヤリングがほしいと願う彼女だけど、それ以上に、彼女はここではっきりと「死」を選んでいて。そしてそれが少しも無自覚でも愚かでもない、ひとりの「選択」として演じられていることが素敵でした。
ボニーという人が自分の状況についてどう考えているのかはほとんど語られません。ブランチに「あなただってきっと(殺される)」と指摘されて、彼女はやっと「(私も)きっと殺されるでしょうね」と答えますが、それでもそのことをいつから考え、どのように捉えてきたのか彼女が客席に心を開くことはない。彼女の孤独はそれでも、確かにそこにあって、それは夢白さんがボニーという人を最も理解してる人だったからではないかと私は思います。
フィナーレ(お芝居の後のショーのシーン)の夢白さんが私はとても好きで、勝田さんの絵で描かれているのが見られてとても嬉しいです! あんなにも繊細で、強くて、己の思いを手放さずに生きてきたボニーより、もっともっと明るくてでもやはり強くて、思慮深く、誰よりも本当の意味でボニーを抱きしめられる女性として夢白さんはそこにいて、彼女の夢を彼女の代わりに叶えるみたいに歌い始める。それが本当にかっこよかった。ボニーの最大の理解者としての夢白さん。クライド役の彩風咲奈さんがマシンガンでみんなを撃つ振りがフィナーレにはありますが、夢白さんだけが生き残り、そしてみんなを生き返らせる。クライドが唯一殺せない他者がボニーなんだろう、とこれを見たとき思いましたし、だからこそ二人は恋に落ちて、一緒に死んだんだ、とも思った。クライドは周囲をどうしても壊してしまうし、それに傷つきながらも、他者を憐れみ慈しむことができない。殺せない、ということが、何よりも愛の表れなんじゃないかと感じます。そしてクライドより先に死なない、ということがボニーの愛の表れなんじゃないか。死ぬ未来に向かいながら、自分が愛した人のためにその人より先には死ぬつもりがない女性。そんな人の孤独は、なかなか作中では語られないです。死なないこと、死ぬつもりでいることが愛であることをその人はほとんど言葉にしないのです。
フィナーレは原作のブロードウェイ版にはないものですが、この構成が私はとても好きで、作品の本質を見せているとも感じます。そして、ショーでボニーさえも抱きしめられる女性として現れた夢白さんに、登場人物への優しくそして確かすぎるほど確かな眼差しを感じ、その眼差しこそが本篇のボニーを支えていたのだと思いました。
ボニーとクライドの犯罪は、人を傷つけている。殺している。それを青春や恋物語という面だけで切り取ることはできないし、ボニーが信じていたものを他人が完全に理解するのは不可能だろうと思う。それでも、彼女がまっすぐに走り抜けるために燃やしたエネルギーのすべてがそこに確かにあったと、舞台を見ていると信じられる。夢白さんのきらめきによって信じられたのです。華やかさのすべてがボニーのためにあって、ボニーが死ぬとわかっていてもその未来に迷うことなく向かっていった姿を、夢白さんの輝きで観客は「青春」として受け止めることができる。美しさをこのような形で芝居に活かす夢白さんが素晴らしいと思えたし、「宝塚のお芝居」の独特な面白さが詰まっている公演だとも思いました。この公演の夢白さんは、ボニーのためだけに美しい瞬間がいくつもあり、それが本当に素敵だった。この人は、誰よりもボニーのためにボニーを演じているんだなと思う。彼女の孤独が、演じる人によって報われていくような、そんな感覚でした。
宝塚のスターが持つきらめきは、その人本来のもの、と言ってしまうのもちょっと違っていて、その人がさまざまな要素を積み重ね一時的に纏っている幻や夢のようなものだと思うのです。その瞬間のその人だからこそ、その幻と共にある。客席で見つめている観客の視線によって、そしてライトによって、セットによって、それから宝塚という場によって、出演者が纏う「何か」は作られていく。美しくて、研鑽を重ねる人たちだからこそのきらめきだけど、同時にものすごく奇跡的なもの、ただの積み重ねだけでは到達できない魔法のようなものもそこには混ざっていて、スターを見るとき、私はいつも運命とかタイミングの素晴らしさを考えます。なにか、今そのときに奇跡を起こしている人が目の前にいる、と見てるだけで「わかる」ことこそが彼女たちのきらめきの正体なのかもしれません。そこに自分が居合わせた、という事実にとてつもなく心が躍ってしまうのです。
だからこそ、きらめきを大前提とした役を、そしてその人でなければならなかったと感じる役を、スターが作り上げている瞬間を見たとき、「運命」の気配を強烈に舞台に感じてしまう。宝塚はどんどん新しい人が入ってきて、メンバーも変わっていきますから、その演者さんがその作品に出会った、そしてそれを自分が見ることが叶ったという「運命」の実感は強烈で、それこそが宝塚の舞台の高揚感を絶対的なものに変えているのかもしれません。舞台を見られたということが、運命の出会いを成せたようなそんな特別感をもつのです。
特に「宝塚ファンとして、現役時代にこの人に出会えたこと」を日々幸福に思っているファンにとって、彼女たちのきらめきはより奇跡的に見えますし、その「奇跡」が物語の登場人物の刹那的な感情にも直結して見えるのかもしれない。宝塚のお芝居は、美しいです。美しいことがこの物語を「その瞬間だけのもの」に変え、刹那的なものに変え、描かれる恋も愛も青春も崇拝も、すべてがさらに儚いものとして輝く。それが、見ている人の「私の人生のとても大切な一場面」に変わっていく時間です。
刹那的で破滅がつきまとうボニーとクライドのカップルは、そんな鮮烈さにふさわしくて、その意味でも新たなトップコンビのプレお披露目としてぴったりの作品でした。和希さんのバックも、野々花さんのブランチも。この人たちに生で出会えたこと、それ自体に劇的なものを感じているファンにとってはきっとこの作品は、死に急ぐような彼らの悲しいほどの眩しさも、自分のタカラジェンヌへの「愛」が見せるきらめく夢としてより鮮烈に映っていたのかなと思います。
あのころのことを本当の意味で「あのまま」思い起こせる作品をありがとうございます! 勝田さんの描く夢白さん、すごくすごくきれい……! 記憶の中の、夢白さんなんです。なんなら、写真よりも映像よりも、客席で見た時の夢白さん。
タカラジェンヌって不思議で、美しさがカメラでは完全には残らないのです。写真や映像よりも描かれた絵を見た時に、生で見てた時のきらめきを思い出すことがあります。それこそ、ファンとして見ていた幻が残っているからかもしれません。
ご観劇いただきありがとうございました。
(④へつづく)
(さいはて・たひ/詩人)
(*註)プレお披露目作品――トップスターやトップ娘役がトップに就任して初めて宝塚大劇場・東京宝塚劇場で行うのが「お披露目」公演。それ以前に、外部の劇場で行われるのが「プレお披露目」公演。