WEBスピン新連載!本気の「好き」を伝えるためのお手紙講座 最果タヒ「燃えよファンレター」第1回
最果タヒ
2024.05.31
題字:はるな檸檬
新連載 愛しているから手紙を書きます。
手紙は難しいです。気持ちを伝えるということもなのですが、そもそもこの気持ちがなんなのかを、できるだけ諦めずに、すべて言葉にしなくてはと思う。たとえば、「ここがなんかすごくよくて、だから私はあなたが好きです」って私は確信しているからそれだけで本当の気持ちだ、と思って書くけれど、その途端、いやもっときちんと説明しなくては……と真顔になって、思い詰めてしまうのです。ただ私が私を追い詰めているからで、ほんとはそんな必要はないんだけど、でも私は確実に、できることなら全部伝えたいんだなぁ。無理だとは思いながらも私があなたに感動した心をそのままあなたに体験してほしいって思っている。わたしは主観でしかものを見られないし、どんなに大きな感動があっても、突き詰めれば私の気持ちがそのとき動いたということでしかないから、他の人に同意してもらえるよう論理的に説明するなんて難しい。でも、それでもこの気持ちの動きを言葉にしたかった。細かい感覚を適宜言葉にして、それを読んでいくことで私の心が動いたようにその人もすこしは心が動いたらいいな。とても難しいことだけど、手紙は「伝えたいこと」を丁寧に包んで伝えるためのものというより、伝えたい! というその感情で火をつけて走らせていく星のようなものだ。私がこうやって精一杯言葉を尽くしたら、伝えたいことは伝わらなくても、私のその昂揚感は伝わるんじゃないか。動機にあった情熱は見えるんじゃないか。私が伝えたいことって本当はそれで、私の感想より、私の情熱が、温度が伝わっていてほしい。
(なんて、思えるのは受け取ってくれる人が優しいからです。本当にそれはそうなんです。)
どんなものでも伝わるけど、自分の伝えたいを大切にするなら。
そもそもお手紙はお手紙を書いているという事実が多分ものすごく相手にとっては大きくて、そこからすでにたくさんのことを受け取ってくれる人たちだから、別に何を書いても書けなくても、きっと伝わるんだろうなと思う。それは本当にすごいことだと思いながら、そうではなく、ここからはすべて己が納得できるかどうかの問題よ! と言いたくなるような、そういうこだわりはあるのです。私は伝えたくて、伝えたいと思うことに対して徹底して細かくいたくて、それは相手に届けばもちろんなにより嬉しいけれど、多分それくらい細かく自分が言葉にしていく時間がそもそもすこし好きなのだ。そうやって書いていると私は劇場で見ている時に昂揚して「好きだわぁ〜!」って思っていた気持ちを、フラッシュを焚いて写真に撮ったみたいに、当時よりもっと鮮明に残すことができるから。頭が真っ白になるようなそんな時間がたくさんあったはずだけど、でも書いていけばそんなことはなくてたくさんの言葉がそこにはあって、それを読むと、そのときの「好き」をずっと忘れずにいられる感じがする。私は何にもできないんです。好きと思うくらいで、何にもできないから自分の「好き」に徹底して素直でいたいし、律儀でいたいし、真面目でありたい。よく見て、よく考えて、そしてそれでも自分の好きが誇れるものだと思いたいし、そういう日々を生きるためにも私は定期的に自分が見ている時の心の動きを全部言葉にするのが好きです。伝えられる限りで、すべてを伝えたいって、思えることもなんだか嬉しい。私は本当に素敵な好きをもらっているなって思えます。
たまに、私は応援している人を舞台で見ていて、あまりに綺麗で特別だから、この人にもその姿を見てほしいと思う。ただ見てほしいというより、私の目にどう映っているかを知ってほしい、と思う。手紙は鏡で、普通の鏡に映るもの以上のものを映すことができる、そんな特別なものだと信じている。現実ではなく私の瞳の中の夢を、映し出せる。もちろん、手紙をただ書くだけで、見たものを書くだけで、それでもいろんなことを思いやって、汲み取ってくれる人たちだけど。でも同時に、私がもらっていたものの全てがどれほどきらめいているかなんて、その人は知らないだろう、とも思うから、私はその人が鏡を見るだけじゃ知ることのない、私の瞳の中の景色を映せる鏡になりたいです。だから書いている。書かないといけない。書かないといけない、と思うところからしか出てこない言葉ってあるように思うのです。
以前手紙に、とある美しい景色を見たらその人のある役(だいぶ前の役)のワンシーンを思い出すって書いたことがある。美しい瞬間から思い起こされるのが、その人のある一瞬である、というのは、私にとって特別なことで、それは別に伝えなくてもいいんだけど(舞台の感想とかではないから)でもとても伝えたいことだった。一つずつ丁寧に、あなたは私の特別です、を、その瞬間の出来事として描いていく。多分なのだけれど、ただ好きですというより、私の人生に根深く存在しているからこそ起きるこうした「ふと思い出した瞬間」のほうが、相手に伝わるのではないかなぁ。ファンはファンの人生があるし、ファンも一人の人間で、その一人の人間から出てきている「あなたは特別」という実感は主観にまみれていて、でも主観にまみれているから、どんなときだって覆されないのだ。
何を言われようがそれは私の中では真実なのだ。唯一の。
私は一人の人が好きで、その人の誇りの高さが好きで、私はその人のことを舞台人として心から信じているし、信じていることを伝えたい、いつだって消えることがない星みたいに、その人がたまに見る空の中で光っていたいなと思っている。
(さいはて・たひ 詩人)