WEBスピン新連載! ことばは書いて飛び立つ 「自閉症のぼくは小説家」 第1回

WEBスピン新連載! ことばは書いて飛び立つ 「自閉症のぼくは小説家」 第1回

連載第1回 はじめに

自己紹介
僕は特別支援学校の高等部に通う17歳の高校2年生です。

僕は2歳の時、知的障害を伴う重度自閉症と診断されました。「自閉症」という言葉を皆さんはご存じでしょうか? きっと一度ぐらいは、その言葉を耳にしたことはあると思います。

「自閉症」とは、いまだに原因が解明されていない先天性の機能障害です。軽度から重度まで様々な段階がありますが、その症状も様々です。

僕の場合、重度と診断されていてその症状は重く、ほとんど言葉を発することができません(声はでます)。いつもジャンプばかりしていて、パニックになると大きな声を出して暴れたりもします。いきなり走り出すなど行動も制御できないので、外出時も危険が伴います。

そのような状態でしたので(これは今でも同じ状態です)僕は幼い頃、日常生活に必要な最低限のスキル、食べる、着替えるなどの訓練を中心に指導していくようにとお医者さんに診断されていました。この子には重い知的障害もあり、言葉や数などの概念は理解できないだろうから、手先の訓練などを中心に指導をするようにと、要は学科教育はこの子には不必要だろうと判断されてしまったのです。

僕はそれを母の隣で聞きながら、とてもショックを受けました。何故ならその頃、すでに3歳ぐらいの時には周りの人達の言葉や会話はほとんど理解していたからです。僕のする行動はひどかったかもしれませんが、中身は普通の3歳児と大きく変わらなかったと思います。

理解はしているのに、僕の心に言葉はたくさんあるのに、僕はその言葉を何故か声で言えない、表情や身振りで表すこともできない。一言でいうと、心と身体が繋がっていなくて言葉が閉じ込められている感覚でした。僕は本当は言いたかった「僕は色々わかってるよ!」と。

でも周りから見たら表情も乏しくいつも無表情で、言葉も全く話さない、奇声を発してジャンプばかりしている子。おまけに重い知的障害があるとお医者さんに診断されてましたので、この子に話しかけてもきっと理解できないだろうと思われてしまったのも仕方がなかったかもしれません。でも僕の悲しみ、絶望感は皆さんの想像を超えていたと思います。「僕はみんなと同じように学べないの?」

僕は他の子のように絵本の読み聞かせをしてもらうことも、ほとんどありませんでした。3~4歳くらいの頃の僕はいつも、ひも通しのような手先の訓練ばかりさせられていました。文字や言葉についてはほとんど教えてもらえなかったのです。僕の心の中はたくさんの言葉や様々な感情で溢れていたというのに。

実際僕は日々色々なことを考えていました。「この先生は体力があるなあ」とか。「C君はずっと身体を揺すってるけど疲れないのかな」とか、先生や友達をよく観察してましたし、とても興味がありました。いつもチラッと横目で見ていたのでその行動は気づかれることはありませんでしたが。

 
いつかきっと

お話も大好きで、先生が友達に読み聞かせをしている時、横でこっそり盗み聞きしたりもしていました。ひもを通すことより、ビー玉を箱に入れる訓練より、僕は知らない言葉やたくさんの知識を周りの子達のように教わりたかった。何よりも先生や友達と触れ合い、会話し、心を通わせたかった。皆みたいに言葉で、声で。でも僕は何故か話せないのです。

「はくとくんは一人でいるのが好きなんだよ」と言われた時は「違うよ、僕もみんなと遊びたいよ!」と叫びたかった。この頃の僕はとても寂しくて、世界は暗く辛いものなんだ、そして僕は人とは違うし一人ぼっちなんだと感じていました。

友達が一人もいなかった僕は、いつも部屋の隅で一人でいました。僕ができる事といえば、窓辺でキラキラした日差しやカーテンの揺らめきを見つめること。でも僕はその揺らめく美しい光に希望を抱き、いつかきっとという燃えるような情熱を密かに心の中に育てていたのです。

そんな僕も高校生になりました。僕は相変わらず重度自閉症のままです。身体が大きくなった分、前後にいつも揺れている行動はより奇妙に見えますし、奇声も声が大きくなった分、より目立ちます。しかしそんな僕が今このように文章を綴っているのです。

自分でも驚いています。口頭では話せなくても、タブレットでこのように思いを表現できるようになったのです。しかしここに至るまでには、本当に多くの経験と日々の訓練の積み重ねと、粘り強い努力が必要でした。これからこちらで、どのようにして現在の僕の状態に辿り着くことができたのかを、書いていこうと思っています。

 
僕が伝えたいこと

僕は運よく、家族や周りの人たちが僕の知性に気づいてくれて粘り強く、根気よく僕を教育してくれました。でもまだ世の中には話せないというだけで、その内面にある言葉や思いを出せず受けるべき教育を受けることができない仲間たちがたくさんいるのです。僕はそれがどうしてももどかしいですし、正直悔しいのです。僕がこのように表現することで、少しでも「話せない=内面に言葉や思いはほとんどない」という判断は間違いなのだと理解してもらえたら、そんな思いで僕は今この文章を打っています。

僕は本来人に何かを伝えることは苦手ですし、普段は狭い世界で守られて生きていますので、このように世の中に対して言葉を発することはとても勇気がいります。でも僕には、伝えたいこと、伝えなければならないことがたくさんあります。ここでは、正直にありのままの僕を見せたいと決意しています。僕の文章や言葉で本当の重度自閉症の世界を少しでも知ってもらえたら嬉しいです。

関連本

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著者

内田博仁

(うちだ・はくと)2008年生まれ。2歳で知的障害を伴う自閉症と診断。6歳でキーボードで文字を打てることがわかる。表現活動を始め、作文コンクールや文学賞の受賞を重ねる(7回)。小6で第4回徒然草エッセイ大賞大賞、15歳で松本清張記念館の中学生・高校生読書感想文コンクール最優秀賞、北九州子どもノンフィクション文学賞で選考委員特別賞・あさのあつこ賞を受賞。平日は学校の後に母と読書や文章を書き、週末は父とサイクリングなど外に出かけている。
 

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