『自閉症のぼくは小説家』 第2回「ぼくは涙が出ない」

『自閉症のぼくは小説家』 第2回「ぼくは涙が出ない」

連載第2回 ぼくは涙が出ない

 

他の人と違う?

僕は涙が出ない。僕が涙を流して泣く姿を家族も先生も見たことがないのではないだろうか。
きっと話せないのと同じように、涙を流させる運動機能が脳と繋がっていないか、麻痺しているのだと思う。

僕が「自分は他の人と違って涙が出ない」ことに気づき、疑問に思い始めたのは5才の時。療育センターで起こったある出来事がきっかけだった。

療育センターでは子供の能力やIQなどを確認するため、定期的に発達検査をしていた(ちなみに僕も母もこの検査が大の苦手だった)。

この頃僕は、毎日のように母と何時間も机に向かい勉強や訓練をしていて、その努力のかいもあって質問の答えを指さしで正確にしめせるようになってきていた。だからこそ、今までは正確に能力を計ってくれないことで悔しい思いばかりしてきた発達検査も、今日こそは上手くいくのではないか、僕の現時点での能力を正確に評価してくれるのでないかと期待していた。

でも結果から言うと、この日も検査内容は散々だったのだ。僕はこの時もまたことごとくほとんどの質問に答えられなかった。頭では分かっているのに、質問の内容も答えも理解しているのに、指や身体で正確な答えをしめせない。頭と身体が繋がってない感覚。身体がフリーズしている感覚。

 

誤解

「車はどれ?」に対して車を指さし出来なかったのは自分でも凄くビックリした。ショックだった。大きなショックを受けたことでさらに気持ちが動転してしまい、その後の全ての課題にもほとんど答えられずボロボロだった。僕は悔しかった。あんなに努力したのに。家ではスラスラできたのに。悔しい。僕は泣いた。悔しくて悲しくて泣いた。いや泣いているはずだった。心では確かに泣いているのにその気持ちを表情や泣くことで表せず、逆に僕はなんとへらへらと笑ってしまったのだ。

「はくとくん楽しそうだね」と検査をしている先生が言った。楽しくなんかない!僕は今悔しいのに。悲しいのに。泣きたいほど悔しいのに!そう心で思う度、僕はへらへら笑っていた。後ろで見ていた母は僕の思いをすぐに察知して、そんな僕を見て耐えきれずに泣き出してしまった。

「この子は本当は色々分かってるんです」それに対して先生は言った。

「お母さん、はくとくんができないことを認めてあげましょう。はくとくんの今の状態をまずはお母さんが認めて受け入れてあげないとはくとくんが辛いんですよ」

僕は違う!お母さんが泣いているのは、本当はできるのにそれを発揮できない僕が可哀そうで泣いているんだと言いたかった。でもどうしてそうしてしまうのか? 自分でも分からないけど、とにかくずっとへらへらと笑っていたのだ。

 

水滴

帰りの車では、母は今まで見たことがないくらい泣いていた。僕はお母さんを悲しませてしまった辛さと悔しさで、声を張りあげ泣き叫んだ。二人で泣き、叫ぶその様子は今思い出しても切なくて胸が締め付けられる。
そんな混乱した車内で、母の顔を後ろから見ていて僕はあることに気づいた。母の目からどんどん涙が、水滴が流れ落ちている。泉のように水が溜まった目からまるで溢れ出るように水が、水滴が流れ落ちていく。僕は? 僕の目からは涙が流れていない。どうしてなんだろう?

僕はこの時、自分はたとえ泣き叫んだとしても(泣き叫ぶまではできても)涙は出ないという事実に気づいたのだ。

センターでは毎日のように友達が泣いていた。上手くいかない時、悲しい時、色々な感情を涙と共に思いきり吐き出していた。当然その目からは涙が溢れ水滴が頬をつたっていた。そして感情を思いきり出した後、友達は決まってスッキリとした表情をしていた。泣くことは溜まった嫌なものを涙と共に流してしまうのだろうと思った。僕は多分ほとんど泣かなかったと思う。叫ぶことはあっても僕は泣けなかった。「僕は何故涙が出ないのだろう」ずっと疑問だった。

 

涙の代わり

涙が出るとき、人は感情を吐き出し解放されるのだろう。
でも僕の悲しみや苦しみは心に溜まったままだ。そのうえほとんど表情にも出せないから、人に「辛く悲しい」という感情が伝わらない。そのうえ負の感情が積み重なって、心に重い塊ができてしまう。

悲しい時、辛い時、もし皆のように涙を流せたらその塊は涙に溶けていって流れていってくれるのだろう。僕は「涙を流す」ことに憧れていた。

しかしよく考えてみると、僕にとって涙に代わる行為が「パニック」なのだろうか。
人に辛さが伝わらない苦しみは想像を超えている。どうしたら、この思いが伝わるのだろうか。

僕の中で大きくなりすぎた塊はもうはちきれそうになって、苦しくて何かにすがりたくなる。
「たすけて」と崖から落ちそうになる時、何か目の前にあるものにすがり掴みたくなるあの感じだ。その間「はくとくん落ち着いて」とか「はくちゃん大丈夫」とか言われても耳に声は入ってはくるけれど、頭は真っ白で理解する余裕などない。身体と脳が大爆発してもう制御できないのだ。

 

パニック

僕は暴れ、指の皮がめくれる程自分の指を噛む。時に人の腕に爪を立ててしまう。血が出るくらいに。パニックが治まると、僕の中の塊はまるで消えたかのようにその存在を感じなくなっている。僕の苦しみは半分以下になって心が楽になっている。でも周りは僕に怪我させられて血が出てしまったり、疲弊してぐったりしていたり、その様子を見て僕はいつも自己嫌悪と申し訳なさでいっぱいになった。どうしてこんな凶暴な方法でしか苦しみや悲しみを解放できないのだろう。
生きていればどうしても不満や悔しい思い、もどかしさ、悲しさ、そんなことを経験してしまうものだ。

そこは平等に皆あるのだろう。でも僕のようにそれを口頭や行動で発信したり訴えられない人は、涙さえ出すことができない人は、どのようにして苦しみや悲しみと向き合えばいいのだろうか。人に奇異な目で見られ恐れられて、時に嫌われ、そんな「パニック」という行動でしか苦しみを体現できない人もいるのだ。心に苦しみや悲しみがあるのは皆同じなのに。
しかし涙で苦しみが和らぐ人、パニックで和らぐ人、苦しみを抱えてしまう人、苦しくてもやり過ごしてしまう人、大きな目で見れば表現方法が違うだけで、皆辛い時があるのは同じだ。
苦しみを吐き出し自分を解放するという行動は、やはりどんな人にも必要なのだと思う。
しかし自閉症の人は吐き出す方法が特異だし、そもそも思いを吐き出すことが大の苦手だ。苦しい時に笑ってしまうくらいなのだから。

いつか僕も涙を流すことで自分を解放できる日はくるのだろうか。

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著者

内田博仁

(うちだ・はくと)2008年生まれ。2歳で知的障害を伴う自閉症と診断。6歳でキーボードで文字を打てることがわかる。表現活動を始め、作文コンクールや文学賞の受賞を重ねる(7回)。小6で第4回徒然草エッセイ大賞大賞、15歳で松本清張記念館の中学生・高校生読書感想文コンクール最優秀賞、北九州子どもノンフィクション文学賞で選考委員特別賞・あさのあつこ賞を受賞。平日は学校の後に母と読書や文章を書き、週末は父とサイクリングなど外に出かけている。

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