『自閉症のぼくは小説家』連載第14回「父との旅」

『自閉症のぼくは小説家』連載第14回「父との旅」

連載第14回 父との旅

 
父の試練
 
父は僕が小さい頃から、週末の一日は自転車トレーニング、もう一日はお出かけの日と決めていて、僕をいつも色々な場所に連れて行った。小学生の頃は公園を何時間も歩いた。その帰り道によく訪れたのがショッピングモールだった。

僕は人混みが大の苦手だ。ワーッという子供の声がすると辛くて座り込んでしまう。それも僕は何故かいつもお店の入口とか、人の邪魔になる場所で座りがちだった。

「はくと立って! ここは邪魔になるよ!」

父は焦り、何とかして立たせようと叫ぶ。

分かってる、でもまだ気持ちが回復していないんだ、と僕は立てない。

すると今度は身体ごと起こそうとする。僕は必死で抵抗する。困り果てた父は、どうしたら僕が立ち上がるのかと悩んだ末、結局僕を身体ごと抱え無理に移動させた。この力づくで移動させようとする行為が僕は大嫌いだった。

「どうして待ってくれないのか」僕はカッとなり、いきなり父の腕に噛みついてしまったのだ。

帰宅後、父の腕の傷を見て母は「もう危険だからお出かけはやめたほうがいいよ」とまるで父を叱るように言った。
「初めての店、人混みが苦手なんだからあまり連れ出したらかわいそうだよ」と。父は何も言い返さず黙りこんでいた。
こんなことがあったにもかかわらず、父は翌週にはまるで何事もなかったかのようにまた僕を外へ連れ出した。自然の多いところならいいのだろうと思い立った父は、今度はもっと遠くの海や山、花見へと連れて行くようになった。それでも人が多い、慣れない場所、といった色々な要因で、僕は噛みついたり大声を出したり、パニックをよく起こした。
 
パニック後、ぐったりと疲弊しきった表情でうなだれている父を見て胸が痛んだ。
もう僕を連れまわさなくていいよ、そう思った。父もこの頃は相当悩んだだろう。父も努力はしていたのだ。
先が見えないと不安になる僕に、父はその日行く場所の予告もきちんとしていたし、休憩もしょっちゅうとってくれていた。でも今思うとその方法が僕に合っていなかったのかもしれない。
 
 
焼肉の夜
 
中学生になると僕の力も強くなり、パニックもさらに激しくなっていった。
忘れもしない、あるミュージアムに行った時のことだ。
「今日はミュージアムにいくよ」
僕を不安にさせないようにと放たれた言葉は、僕の目の前を素通りしていき空中で消えてしまった。他のことに気をとられていた僕には言葉が入ってこなかったのだ。
これから何処に行くのか?
不安を抱えたまま僕らは出発した。
ミュージアムの入口に立った瞬間、恐怖感が僕を襲った。ここには何があって何をする所なのか? 怖い怖い…嫌だ…ここに入りたくない。僕の全身の血が止まったかのように身体が固くなる。筋肉がこわばる。
「さあ入るよ」
そう言われた瞬間それが引き金になり僕は父に飛びかかった。
しがみつくように爪をたて、父の指から血がしたたり落ちた。取っ組み合いになった。
「やめろ!」と父が怒鳴る。その表情は鬼のように憎しみに満ちているように僕には見えた。
その表情がさらに僕に火をつけた。わーーっと頭が真っ白になる。父の手に噛みつく。
時間は覚えていないが、終わった時僕の髪は汗でびっしょりになっていた。
父のぐったりと疲れきった表情が目の前に見えた。また父を傷つけてしまった。父はきっと心底僕に失望しただろう。どうしてこうなってしまうのだろう。周りの親子の楽しそうな笑い声が聞こえる。でも僕たちはすべて出しきってぐったりとうなだれている。父は僕を労わるように静かな声で言った。
「焼肉食べようか」
僕たちはその夜焼肉を食べた。にんにくの香りが肉の旨みと共に、僕の疲れた身体に染みわたる。気が付けば僕らは笑っていた。父もホッとしたように笑った。
 
 
父の真意
 
どうしてこんな思いばかりするのに、父は僕を連れまわすのだろうか。ずっと疑問だった。
高校生になった僕に、ある日、父は言った。
 
「もしはくとがずっと文章を書き続けたいのなら、多くの景色を生で見なければ駄目なんだ。家にばかりいて狭い世界にいたら駄目なんだ。リアルな体験をして、見て感じて、そういうことが文章に生きていくんだ」
父には強い信念があったのだ。実際に見なければ分からない景色、色彩、香り、感触。それらを自分で見て感じ、自分の言葉で表現すること。それが今の僕には一番必要だと。その為に僕を毎週様々な場所に連れ出して、共に苦労し、汗水流し、共に色々な体験をしてくれていたのだ。
父の真意を知った母も、僕らのお出かけを成功させようと立ち上がった。
「予告は口頭だけでなく手書きで紙に書く」
「さらに直前に次は〇〇だよと言う」
「何より何故そこに行くのか目的を伝えるように」と父に細かくアドバイスをした。この対応を地道に続けていくうちに、少しずつ僕のパニックは減っていったのだ。
 
 
合い始めた歯車
 
「取材旅行をしよう、名付けて男旅だ」

ある日唐突に父が言った。今回の旅の目的地は浜松。一泊二日の旅だ。今まで失敗も苦難もたくさんあった。そんな経験を重ねて僕らの絆は深まったはずだ。言わばそれらの集大成となるであろう今回の旅。

まずは今回行く場所を時系列で母が紙に大きく書いてくれた。
「車で移動→お昼は〇〇でうな重→自衛隊エアーパーク→…」
初めての場所に不安にならないように画像を見せながら、前日から何度も何度も僕に説明してくれた。
そしていよいよその日がやってきた。まるで僕らの旅を歓迎するかのように、車窓から見える空は澄み、抜けるような青空が高くどこまでも広がっていた。浜松に着き、予定通りうな重を食べた後「次は自衛隊のエアーパークに行くよ!」と父が大きな声で予告した。母に「事前に何度も予告をするように」と言われていたのに実際は一回だけだったが、予告があることで僕は心構えができた。
 
航空自衛隊浜松広報官エアーパークは、展示や映像などを通じて航空自衛隊を紹介している施設だ。思い返せば何度入り口で座り込み、何度父に飛びかかったことだろうか。過去のトラウマが蘇り僕は入り口に着くと、緊張で身体を固くしてしまった。昨日見た施設の写真、イメージを思い出す。大丈夫だ。自信と安心感を得た僕は、スルッと難なく入り口をすり抜けることができたのだ。
ブルーインパルスのコックピットに乗ることができると聞き、僕は大興奮してしまった。コックピットは戦時中、隼戦闘隊という飛行部隊に所属していた僕の大叔父が、空へと散った最期にいた場所、僕にとって特別な場所だからだ。
「大叔父が感じたその感覚を僕も味わいたい」
怖さよりその思いの強さが勝った僕は、勢いよくコックピットに乗り込んだ。
想像以上に狭く圧迫感があることに驚く。
「おじさんはこんな狭い場所にいて何時間も戦っていたのか」と胸が痛む。その時「はくと! 次の人が乗るよ! 降りないと」と父が叫んだ。何度叫ばれても僕は動けない。
「もっと乗っていたい、もっと大叔父を感じていたい」とその思いが強くて切り換えられなかったのだ。
しかし父は以前とは違い動じなかった。冷静にこんこんと「順番だから降りるべきだ」と僕を落ち着いて説得した。理解し納得すれば僕も動けるのだ。僕はスッと立ち上がった。
 
 
広がる世界
 
次の日、父は僕をロープウェイや鍾乳洞などに連れて行った。そのどれもが新鮮で刺激的だった。自分の目で見て身体で感じ、頭で考え行動することで、現実のリアルな体験の感覚が、僕の中にどんどんインプットされていく充実感があった。
旅のクライマックス、大草山の頂上から見下ろした景色が僕は忘れられない。
青々とした空と藍色の湖面、深い緑がくっきりと浮かび上がるように輝いていた。この空気、この解放感、自由、世界は広いのだという実感。こんな風に身体全体で感じることは家では絶対にできないことだ。
 
僕はこの景色を見ながら自分の進むべき道を思った。僕はこれからも書き続けるだろう。そのためにもっと外の世界も見よう。家にこもり現実から逃げていたら僕は羽ばたく翼さえ失ってしまう。
本当は外に出たかった。変わりたかった。僕の本当の願いを父は分かってくれていたのだろうか。
だからこそ固くなっていた僕の翼を強引に広げ、外の世界に連れ出し続けてくれたのだろう。

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著者

内田博仁

(うちだ・はくと)2008年生まれ。2歳で知的障害を伴う自閉症と診断。6歳でキーボードで文字を打てることがわかる。表現活動を始め、作文コンクールや文学賞の受賞を重ねる(7回)。小6で第4回徒然草エッセイ大賞大賞、15歳で松本清張記念館の中学生・高校生読書感想文コンクール最優秀賞、北九州子どもノンフィクション文学賞で選考委員特別賞・あさのあつこ賞を受賞。平日は学校の後に母と読書や文章を書き、週末は父とサイクリングなど外に出かけている。
 

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