『自閉症のぼくは小説家』連載第16回「母の声で、本を読む」

『自閉症のぼくは小説家』連載第16回「母の声で、本を読む」

連載第16回 母の声で、本を読む

 

僕には「普通の読書」ができない

僕は幼い頃からほぼ毎日欠かさず本を読んできた。

学校帰りの夕方の時間に少しずつ読み進めるので、読むペースは他の人よりかなり遅いと思う。それでもトータルすると今までに約200冊ぐらいは読んできたと思う。

読書といえば、普通の人は本を自分で手に取り、目で文字を追って右から左へと読み進め、自分でページをめくり読んでいる。

この当たり前な行動が僕にはすべてできない。

まず「本を持ってごらん」と言われても、持ってはみるがすぐに手を動かさずにはいられなくて上下、左右に振り回してしまう。そして最後には本が手から落ちてしまう。何とかして持てたとしても、今度は文字を目で追えない。「ほら!見て!」と言われると、一瞬はその文章に目線を合わせることはできても、すぐに目線はどこかにいってしまう。ジッと見続けることができないのだ。

「本を自分一人で読めない」

これが僕の現実だ。

しかしだから本を読むことを諦めるしかないのか? このような状況でも、母は僕が本を読むことについて諦めなかった。自分で読めないのなら代わりに読んであげればいいと、母は僕が幼い頃から本の朗読を始めた。

そもそも本の読み方は人それぞれだ。例えば脳に障害をもって生まれたある人は、見開いたページを右、左同時に読んでしまうという。見た瞬間に読めてしまうので人の何倍も速く読めてしまうのだ。他にも文字が踊って見えたり、色彩豊かに見えたり、そんな感覚を持ちながら読む人もいる(すごく大変だと思う)。僕は自分一人で読めない代わりに母に音読してもらい、耳から入った文章を頭の中で理解し処理して本を読んでいる。どの読み方が正しいという定義はないのだから、読む方法も色々あってもいいのではないだろうか。

 

本は、閉じた世界をひらいてくれる

ここで重度自閉症の人が読んだ本を理解できなかったら、それは辛い体験になりはしないだろうかという声が聞こえそうだ。重度自閉症の人にとって長い時間本を読むことは負担だろうと判断されてしまうのをたくさん見てきたからだ。実際僕もよく「聞いていないから」という理由で読み聞かせを中止されてしまった経験がある。でも、僕自身は負担に感じたことはない。

僕たちに本を理解する力がないとか、想像する能力がないだろうから、童話や物語も好きでないだろう、と思っている人もいる。でも、僕には物語を欲する理由がある。

通常の子達は子供の頃、様々な「経験」を通じて言葉などを習得する。しかし僕らは人混みや初めての場所が苦手なため行動範囲が狭くなってしまったり、コミュニケーション不足などの理由からどうしても他の子より経験値が不足してしまう。それを埋めてくれるのが本なのだ。

先日僕は『クシュラの軌跡 140冊の絵本との日々』(ドロシー・バトラー著、百々佑利子訳、のら書店刊)という本を読んだ。ニュージーランドに生まれたクシュラは重い障害を持って生まれた。そして医師にクシュラには知的障害があると告げられる。絶望的な日々の中で両親は生後四カ月のクシュラが本に興味をしめしたのに気づく。そこで両親は1人では物を持つこともできず、見ることもできないクシュラに毎日絵本の読み聞かせを始める。本はクシュラと外の世界を繋ぐ橋となったのだ。本はクシュラに様々な世界を、豊かな言葉の世界を与えてくれた。そして三歳を過ぎた頃、クシュラは豊かな感情と知性を持つ人物に至ったというのである。

この出来事もまた、本が外界から拒絶された子にとっていかに大切なものかを物語っている。クシュラも最初は絵より記号ばかりに目がいってしまったり物語がなかなか理解できなかったりと段階を踏むのに苦労はあったようだ。しかし僕もクシュラも共通しているのは、決して本の読み聞かせを嫌がらなかったことだ。

たとえ最初は理解できなくても毎日聞いていると必ず少しずつ内容を理解できるようになっていくし、本のキャラクターを通じて人の感情や世の中のしくみも少しずつ学べていく。それが閉じ込められた世界にいる僕らにとってどんなに慰められることであるか。未知の世界を知れる喜びと興奮、この思いはきっと僕らにしか分かりえない感情だろう。何よりも母親や家族の声を通じて愛情を全身で受けとることができる心地よさと幸福感。その時間そのものが貴重な「体験」であり、その体験の積み重ねが僕らの人格を形成してくれたことは間違いないのだ。

 

夕方4時、母と物語の世界へ

学校から帰宅した後の夕方の4時ぐらいからが僕の読書の時間だ。

「はくちゃん勉強はじめるよ!」

なぜか母は読書の時間を「勉強の時間」と呼ぶ。僕はその言葉を合図にソファの左端に飛びこむようにして座る。始まるという緊張感、高揚感で興奮してしまうからだ。

「じゃあトルストイの『戦争と平和』の続きを読むね」

母はいつもまずこのように著者とタイトルを言う。そしてよく通る声で読み始める。読む時間は日によって違うがだいたい1時間から2時間ぐらいだろうか。僕の毎日の日課だ。

母は時に優しく時に重々しく、ストーリーに合わせ感情をこめながら読み上げる。その声を聞きながら物語の世界に母と共に飛びこんでいく。普段は大きな声を出しながら部屋をウロウロしたり、バンバン壁や机を叩いたり、とにかく常に動かずにはいられない僕が、母に本を読んでもらうこの時間だけはソファに長時間じっと座り続け、集中して聞き続けることができる。普段の僕の姿を知っている人からしたら、こんな姿はきっと想像できないだろう。この読書の時間だけはまるでスイッチが入ったかのように、まったく違う自分になれてしまうのだ。物語の世界、様々な状況を体感することでこの世には境目なんてない、囚われることなんてないという開けた自由な思いになる。その解放感によって、自分が自閉症ではない違う自分になったかのような錯覚に陥るからだと思う。学校で現実の厳しさ、大変さを嫌というほど味わった後で、現実にはない世界、過去、未来、世界中のあらゆる国、宇宙、想像の世界にまで毎日飛びこんでいける。冒険的で感情的でスリルのある時間を過ごせる、その時間がとてつもなく楽しいのだ。

 

心が通うということ

隣にいる母のぬくもり、声、息遣いを感じながら共に過ごす時間もたまらなく心地いい。他の人と上手くコミュニケーションが取れないがため、孤独な感情や不安感が強かった僕は幼い頃から常に人のぬくもりに飢えていた。良くはない行動だが、今でもおもむろに手を差し出し「(腕を)さすって」とよく先生に懇願する。そのくらい人と接触してぬくもりや体温を感じることが好きだし落ち着く。そんな僕がましてや大好きな母にずっとピッタリと寄り添ってその体温と心の動きまで感じながら、長い時間を共有することができるのだ。この時間が嫌なわけがない。

何より母が本の世界へ共に連れて行ってくれるという安心感と喜び。共に物語の世界観を共有して思いを分かち合える幸福感。「これってどう思った?」と言われタブレットで感想を打つ。「そうなんだ!」と笑顔で思いを分かち合う。母と心を通わすことができる嬉しさ。夕方の柔らかい光の中で過ごすこの時間は、僕にとってかけがえのない時間になっている。

 

どんな入口からでも、本の世界へ

最後に、放課後の数時間毎日かかさず本を読んでくれた母に心から感謝を伝えたい。毎日何時間も声を出して読むことは時にしんどい時もあったと思う。それを十年以上もの間、続けてきてくれたのだから。

そんな母を気遣って、父は最近母にオーディブルをしきりに勧める。しかし母はあまり乗り気ではないようだ。

「もう少しの間、私の声で読んであげたい」と。

クシュラとご両親がそうであったように、僕と母もこの共に分かち合うという経験自体が本を読む喜びに繋がっているのだろう。僕らの読書スタイルはいわゆる「普通」とはちょっと違っているのかもしれない。でも本の読み方だって「普通」にこだわらなくてもいい。どんな入口からであっても本が開く世界の素晴らしさは変わらないのだから。

 

……………

*最後にご報告があります。僕の初めての本が出版されることが決まりました。タイトルは『僕の言葉を見つけて。』KADOKAWAより2026年11月19日に発売されます。僕の心の中の本当の真実や感じたことをありのまま正直に綴っています。たくさんの方に読んで頂けたら嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。

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著者

内田博仁

(うちだ・はくと)2008年生まれ。2歳で知的障害を伴う自閉症と診断。6歳でキーボードで文字を打てることがわかる。表現活動を始め、作文コンクールや文学賞の受賞を重ねる(7回)。小6で第4回徒然草エッセイ大賞大賞、15歳で松本清張記念館の中学生・高校生読書感想文コンクール最優秀賞、北九州子どもノンフィクション文学賞で選考委員特別賞・あさのあつこ賞を受賞。平日は学校の後に母と読書や文章を書き、週末は父とサイクリングなど外に出かけている。
 

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