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最果タヒのお手紙講座「燃えよファンレター」第4回 言いづらいことだけど正直に言おう、と思う前に

最果タヒのお手紙講座「燃えよファンレター」第4回 言いづらいことだけど正直に言おう、と思う前に

題字:はるな檸檬

第4回 言いづらいことだけど正直に言おう、と思う前に

 人には感情の波があって、愛する上でもいろんな出来事もあり、何かに悩んでしまうこともあるわけで、そんなときに手紙に書くべきだろうかと考え込むようなことを下書きに書いてしんどくなり、やめよやめよ……と思うことって多々ある。自分の気持ちの綺麗なとこだけ取り出して伝えること自体にだんだん無理があるような気がしてきて、これはただ嘘をついてるだけでは!? と感じ始めて、自分がどう思っているのかすべて伝えた方が良いのでは、と考えるときの、この、ぐらぐらとした感じ。一人で考えるからわからなくなるだけで、目の前にいたら、「言わない」という気遣いを簡単に選択できるのになぁと思う。何かを行動して、形にすれば、相手がそこにいなくても、きちんと届くイメージができる。でも遠くの人に手紙を書くとき、「書かない」「伝えない」「隠す」は本当に自分からその気持ちが消されたような気がして怖くなる。だから、伝えたくもなるのだが、そうすると今度は、相手の顔が見えないから伝えてしまえているのではないかって、自分の身勝手さがそこにある気がして怖くなる。

 

 思っていることをすべて伝えようとするのは自己愛なのだ、と繰り返し自分を説得して、できるだけ自分のことを客観視して、結果的に今、こういう原稿も書くことができるのだが、実際私は完璧だろうかというと少しも完璧ではなくて……。結局自分の愚かさに麻痺しないということが、今唯一私ができていることのような気がします。書かなきゃよかった……と思うことももちろんあるし、そういう後悔をできる限り記憶に刻み込んで、次は後悔ではなく出す前に気づくんだ、と心に決めている。

 

 愛を差し出せるということが手紙を出せることの尊さだ。自分の話を聞いてほしくて書き始めたのではなくて、自分の愛情を花束のようにして差し出したら受け取ってもらえる、というそのことが美しくて、私は手紙を出すのが好きだ。
 手紙というのは(ファンレターでなくても)、相手が目の前にいないからどうしても自分一人の世界の言葉を書いてしまう。相手が目の前にいればきっと相手を思いやって反射的に言わずにいる言葉や、言い換える言葉が、自分の中で素通りするのは、それは「黙ること」そのものが一輪の花として自分の記憶に残らないからだ。目の前にいて、言葉を引っ込めるとき、目の前のその人を大切にした、という記憶が残るけど、手紙はそうはならない。書かないものは残らない、伝えるにふさわしくないと退けられた気持ちはなんだか自分自身のものなのに軽視してしまったように感じる。それがさみしくて、だからつい、自分の心を相手に委ねたくなってしまう。でも、本当は、記憶に残らなくても手紙の中で黙っても、その花はちゃんと咲いている。そのことはなかなか自覚しづらいのだけど……。

 

 一つずつ自分の手元に残すのもいいかもしれない、とは思います。手紙を書く分だけ、自分だけに見える形で日記やスマホのメモに自分の気持ちを別で書き残すといいです。手紙には書けないこともそこに書いてしまうといい。伝えない、ということは自分の気持ちを否定することではないのですが、というより、相手を慮るとても前向きな行動なのですが、それがうまく心に残らないのなら、「伝えなかった」という事実を形にして手元に残すといいのかなって。私は独り言のメモ帳にたくさんのことを書き連ねるくせがあり、それは書かないと頭のすべてが動く感じがしないからなのですが……、そうやって頭ではなく文字に考えてもらうように行動していると、書いた時点で満たされる部分が自分に結構あることがわかります。私はさみしいのかもしれない、話を聞いてもらいたくて、相手に聞き役を望んだのかもしれない、とその後に思う。でも、私は私のさみしさを相手に埋めてもらおうなんていうそんな形で自分の愛を疲弊させたくはないなと思った。それこそ、慮る以上に、自分の愛の守り手として「嫌だな」と思った。聞き手として相手を求めないこと。聞き手に飢えないこと。それによって自分が送る言葉は「贈り物」に近づく気もします。

 

 手紙は、心を打ち明けて関わり合う場としてはかなり不自由で、息苦しく、でもそれでも私は、手紙は自分の気持ちを取捨選択して形にするしかないものだからこそ、花束のような愛を形にするには最善の形式でもあると感じている。私は本当にその人が好きで、その人に気持ちを差し出したい。そのときに手紙はこんなにも自由なんだ! と思う。愛を伝えるためなら、どこまでも手紙は自由だ。つまり手紙に躊躇したり悩むとき、それは「愛を伝えるため」ではない別の何かを自分は求めているのかなと考えている。(それが別に悪いことなのだと言いたいのではなくて……。でも、私は愛を伝えていたいです。大好きなので。)

 

 自分の心の中にある綺麗なものを選んでいくことは嘘ではないし、言わないでおくことも隠し事をすることではない。私はその人に対して愛情面では心を開いておきたいが、それでも、私そのものをさらけ出すことは目的にしていない。さみしいわけではないので。(さみしいとしても相手にその解決を求める気はないので。)(※でも公演がなくて見れないさみしさとかはめっちゃあるで!!)私はずっとその人が好きでその人を大切にすることをいちばんの目的にしていたい。その目的を胸に掲げておけば、綺麗なことだけ言おうとするとき、愛情だけを込めるとき、私は自分の言いたいことを好き放題書くよりずっと「自分に正直」な気さえする。そういうときにしか出てこない純度の愛の言葉がある。それは、自分の中にある光り輝く軸なのかもしれない。それを差し出すために、いろんなことを黙るのではないか? それは少しも嘘ではないなぁ。

 

 自分にはいろんな感情があって当たり前で、しかしそれをすべて言葉にすることが「本当」なのではない、と最近は思います。私は、その人のことが大好きで大好きな気持ちを伝えたくて、その気持ちのために愛に100%でいようとするときに出てくる言葉が、嘘偽りとはどうしても思えず、むしろ私の本質だけが剥き出しになっているだけだと感じる。そこに至るまで、言葉を選んで、話題を選んで、気持ちをたまに伏せて、突き進むだけだ。私はその人のおかげで出会えた愛情深い私が好きだ。もちろんそれ以外の私もたくさんいるし、情けないこともたくさんあるし、たまに「あの言葉書かなきゃよかったなぁ……」って遠い目をするのだけど。でもそれらだけが私のすべてじゃないと教えてくれたのは、手紙を受け取ってくれるその人がいたから。私の知る私のすべてを打ち明けるより、その人に向き合おうとするときの、心の中にあるとてもきれいな白い光が、すっと伸びやかにきらめく、あの瞬間の、その人のためだからこそ現れる「私」のすべてを、打ち明けていこう。

(さいはて・たひ 詩人)

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